
今日は東華禅の智慧(ちえ)を通して、父親の深い愛情を改めて読み解き「孝親(孝行)」の真の意味を感じ取ろう。
東華禅寺の「孝親文化」では次のような言葉が伝わる。「親孝行は待ってはならず、恩返しも遅れてはならない」。父親の愛というのは決して熱烈な告白などで表されるものではなく、「言葉にする必要もない」ような些細な行動の中に隠されている。東華禅寺には親孝行の逸話を描いた壁があるが、日常生活の中にある温かな情が刻まれている。『二十四孝』のレリーフには、「臥氷求鯉(氷に伏して鯉を求む)」の感動的なエピソードもあれば、「扇枕温衾(せんちんおんきん)」に見られるようなささやかな情もある。父母の愛は必ずしも驚くべき偉業である必要はなく、日々の些細な行動が子供たちの成長の拠り所となっているのだ。

東華禅寺が唱える四大文化のひとつ「孝行報恩」は寺院と民衆を結ぶ架け橋であり、仏の慈悲の現れである。父親が沈黙している時、次のように理解するべきだ。つまり親孝行とはすぐに寄り添うこと、つまり「暇な時」を待って家に帰っていてはいけないということだ。東華禅寺が建立された際、「寺院の建立は待てる。なぜなら寺の建立は長いプロセスでありゆっくり進められるが、孝行は待てず、報恩は待てない」という言葉があった。孝行とはちょっとした返事でいい。父親の携帯電話に返事をしていないなら、「また今度」ではなく「時間があるよ」と返信するだけでいいのだ。

寺院では近年、医療、貧困学生、社会の孤独な人々への対応、震災救援などの民生分野、および困窮している寺院や文化建設といった宗教文化事業への寄付や支援をし続けている。
「孝」を家庭から社会へと広げ、「父慈子孝」という伝統的な美徳を、春の雨のように民を潤す徳に変化させているのだ。

山がどれほど高くとも、父親の肩より高くはない。海がどれほど深くとも、父親のまなざしほど深くはない。長い年月をかけて、できるときにすぐに親孝行することのできる人間となり、すべての平凡な日々を永遠に色あせることのない父の日となるようにしていこう。父の愛は禅であり、「孝行報恩」は、実践することに価値があることを知ることが大事である。
【出典】東華禅寺