
東華禅寺の歴史的な変遷をご存知だろうか?六祖と東華の法縁は?東華禅寺の再建の経緯は?大公文匯があなたを東華禅寺へと誘い、東華を巡る旅にお連れしよう。
東華禅寺の由来
東華禅寺の歴史は、インド仏教文化の伝来と深く関わっている。伝説によれば、西漢の時代、仏教はまず西域の商人によって中国にもたらされ、朝廷にも影響を与えた。漢の明帝永平10年、明帝は金人の夢を見たことから仏教を中国に招き入れ、高僧に寺院を建立させ、中国に仏法を広めることを正式に許可した。
インド仏教文化は、常に二つのルートで伝来した。ひとつは北西の西域の道、もうひとつは南方の水路である。北西の「シルクロード」から中原に入るルートは歴史が古く、西域を通り、青海、甘粛を経て西安に至る。一方、南方の水路は漢の武帝時代に開かれ、南海から東南アジアを通り、ベンガル湾を越えてインド半島の南東部に至り、さらにセイロン(現在のスリランカ)にまで達した。
東華禅寺の最初の開基者である東インドの高僧、智薬三蔵禅師は、海上シルクロードを経て震旦(中国)にやって来た。俗世では小国の王子であった智薬禅師は、悟りを開いた後、使命に従い東に渡り、震旦で布教活動を行った。禅師は南朝の梁の武帝天監元年(西暦502年)、海を渡り広東にたどりついた。行脚の途中で今日の翁源地区を通りかかった際、この地が非凡な景観を持ち、山の形や霊気がインドの霊鷲山に酷似しているのを見て、その地を「霊鷲山」と名付けた。同時にこの地に「霊鷲寺」を創建し、その寺が東華禅寺の前身となったのである。
智薬禅師は中国滞在中、主に韶州地区で仏法を広め、生涯でこの地域に四つの寺院を建立した。それが霊鷲寺、粤華寺、宝林寺、そして西華寺である。
六祖と東華の法縁
唐の龍朔元年(西暦661年)、六祖(ろくそ/訳注:慧能 (えのう)のこと)は湖北省黄梅で衣鉢(えはつ)を継いだ後、故郷に帰る途中にこの地を通り、東華三聖洞の中でしばらく隠居生活を送った。その後、この地には興味深い伝説が生まれた。伝えられるところによれば、六祖大師は隠居中、定慧という名の弟子を一人取った。大師が去る際、弟子や信徒がいつ戻るのかと尋ねると、彼は東華将軍楼の前にある一つの石を指差し厳かに言った。「その石に花が咲いたら、私は帰ってくるだろう」と。
隠居期間中、六祖は霊鷲寺を東華寺と改名した。「東」は「東土」を意味し、「華」は「華夏」を意味する。これは仏法が華夏の大地に花を咲かせ、実を結び、多くの聖人が現れることを願うものであった。その後、六祖は韶州府の刺史を務める帰依した弟子に請われて曲江県に移り、宝林寺の住職となった。それが現在の南華寺である。
唐宋時代の東華の隆盛
東華禅寺は唐宋時代、多くの参拝者が訪れ賑わった。『韶州府志』によれば、唐の龍朔二年(西暦662年)には、寺院に常住する僧侶が200人を超えていたという。過去の寺院の記録から見ると、在家信徒は僧侶の数の倍であることが多いため、僧侶が200人であれば、当時の東華寺の常住人口は少なくとも400人から500人となり、すでに大寺院の規模であったことが分かる。

没落後の再発掘
明清時代以降、中国の仏教は徐々に活動を潜める時期に入った。当時、東華寺は崩れた壁や廃墟だけが残るだけであったが、それでもなお2、3人の僧侶がそこにいた。21世紀に入り、2002年から2003年の間に、数人の外国人僧侶が史書『始興郡』の記載を手がかりに、韶関の始興県で霊鷲寺を探したが、見つけることはできなかった。その後、韶関統戦部に問い合わせたところ、霊鷲寺は今日の翁源県に位置するが、古くは始興郡の管轄範囲であったため、始興郡の地誌に記録されたと知らされた。探索者たちは韶州府の歴史を調べた後、霊鷲寺が現在の翁源県にある東華禅寺にほかならないことを知ったのである。
東華禅寺再建の始終の因縁
万行法師は1971年生まれ、本籍は湖北省随州である。18歳で出家し、21歳で受戒、閩南仏学院で学んだ。1993年から2000年にかけて、福建省漳州、チベットの林芝、翁源の東華山でそれぞれ閉関修行(訳注:世俗を断ち隔離された状態で一人で修業を行うこと)を行い、3回の閉関で7年間を過ごした。2000年に閉関を終えた。地元政府と十方の檀越(だんのつ)信徒からの熱心な要請に応じ、法師は2001年より東華寺の復興に着手し、その後、多くの専門家や学者を招いて繰り返し議論を重ね、多方面からの助言を受けた。最終的に北京の中聯環設計規劃院に禅寺の設計案を依頼し、明清様式で東華寺を復興することになった。
東華禅寺は2000年に建設準備が始まり、2006年に着工、2008年に落成した。計画、設計、探査、認可申請、建設届出、資金調達など6年間の準備期間を費やした。そして2006年9月23日、主要な建設が正式に始まった。当時、5つの建設チームと300人余りの労働者が同時に作業を開始し、工事現場には毎日機械の轟音が響き、人や車が絶え間なく行き交う中、わずか2年で主要な工事を完了させ、2008年10月2日に寺院の落成式典が挙行された。
東華禅寺再建の成果
「東華禅寺」という千年の歴史ある名を引き継ぎ、かつて建物もなく崩れた壁や廃墟だけが残る遺跡の上に、十数年間の再建を経て、最終的に現在の総敷地面積2,300(訳注:約153万平方メートル)ムー以上、建築面積5万平方メートルを超える十方叢林道場が形成された。これまでに4億人民元以上の建設資金が投入されている(政府が土地を提供し、十方の信徒の功徳によって建設)。全体は男性僧侶の道場、女性僧侶の道場、禅学院、そして高齢者養護施設の四つの区域に分かれている。現在、寺院の主要な工事はほぼ完了しているが、「東方国際禅学院」と「国家級五つ星高齢者養護院」という二つの重要なプロジェクトが現在も準備中である。
【出典】東華禅寺
翻訳/古橋奈津子