東華禅寺の華夏根源文化の旅②建築の至宝‐広仁王廟、「華夏最初の火」発祥地を探訪する

5月7日から9日にかけて、東華禅寺の方丈、万行法師が率いる一行は、中華民族の祖先の故郷である山西省運城の黄河金三角地帯から出発し、中華民族のルーツを探る旅をした。彼らは全国にわずか4つしか現存しない唐代の木造建築の一つである広仁王廟へ足を運び、「ほぞとほぞの間に千年を見る」と称される建築の至宝を鑑賞した。また、「華夏最初の火」の発祥地である西侯度遺跡(訳注:人類が火を使った証拠が残された中国最古の遺跡)を探訪し、黄河文化を深く理解し、中華文明の起源と進化を学んだ。

山西省運城市芮城県の県城から北4キロメートルにある古魏城の城壁遺跡の中に、中国に現存する4つの唐代木造建築の一つで、唐代の道教建築では唯一の遺構である広仁王廟が建っている。この廟は「五龍廟」とも呼ばれる。伝えられるところによると、広仁王廟は唐の大和五年(831年)に創建され、2021年にゲーム『黒神話・悟空』の舞台として取り上げられたことで再び注目を集めた。その梁組や斗拱などの主要な構成要素はすべて唐代の構造であり、極めて高い歴史的、芸術的価値を持っている。力強い斗拱や緩やかな屋根は唐代の「営造法式」と高度に一致しており、「ほぞとほぞの間に千年を見る」建築の至宝と称えられている。

「広仁王廟は、中華民族の長い歴史における唐代の繁栄の美しさに浸る機会を与えてくれる。唐代は多くの芸術家や発明家を排出し、彼らは一般大衆とともに世界をリードする社会勢力を形成し、中華文明の革新的な発展と伝承に大きな影響を与えた」。万行法師は視察の際にこう語った。仏教文化もまた唐代に大いに発展し、中国化された形で『大唐文化』に溶け込み、世界へと広がっていった。仏教の中国化は、『招き入れる』と『外に出ていく』という双方向の発展を示したのである。

万行法師はさらに、東華禅寺は千年の古刹に端を発しており、改革開放と新時代の中国文化事業の活発な発展のおかげで、今日のような明清の建築文化が息づく美しい寺院になったと紹介した。ハードウェアの建設後、東華寺は文化コンテンツの革新的な開発を強化し、周囲の人々や観光客が訪問中に中国建築文化の奥深い知恵と芸術を体験できるようにした。

西侯度遺跡の景勝地では、西侯度遺跡が中国で知られている最も古い旧石器時代初期の文化遺産の一つであると、職員が紹介した。それによると、今から約243万年前のもので、「華夏最初の火」の発祥地として称えられている。また、華山と中条山を結ぶ黄河文明帯こそが「中華」という言葉の地理的な寓意であると職員は説明した。

万行法師は説明に耳を傾け、化石の遺物を注意深く観察した。遺跡の台座に立って華山と中条山脈を眺めながら、彼は感嘆して言った。「243万年前の中国で最初の火は、文化的な自信の源泉の一つだ。古代中国人は、血に飢えた肉食から、刃物や石を使って火を起こすまで、長い進化を遂げてきた。知恵と勇気をもって自然と戦い、一体となることは容易なことではなかっただろう。」東華禅寺の今後の文化活動は、人類史の視点に立ち、中華文化の様々な「源」となる文化を融合させ、少しずつ文化を広めていくことで、民族復興を自らの使命とし、学習を強化し、文化的な自信と人類運命共同体の発展を真剣に実践していくという。

今回のルーツを探る旅は、東華禅寺が日常の管理と仏法を広める活動の中で、仏教中国化のモデルと実践体系を絶えず改善していくための取り組みの一つである。

東華寺は、このルーツを探り学ぶ活動を通じて、中国文明の起源と進化をより深く理解し、祖国の百万年の人類史、一万年の文化史、五千余年の文明史の奥深い美しさを認識するようになった。

翻訳/古橋奈津子