智慧の樹となり暑さを遮り涼を得ん

伝説によれば、千年の古木にはそれぞれ樹神が宿っている。彼らは年輪を巻物として、寺院から聞こえる朝夕の鐘と鼓の音、四季の移り変わりを静かに刻んでいる。東華禅寺の古木は、経典よりも生き生きと、より霊妙な修行の物語を語っている。それは風の中の無常、落ち葉の捨離、そして新芽の再生に関するものである。一枚一枚の葉、ひとつひとつの年輪は、それが天地と共に修行した証しである。

樹の観自在

PART 01 アカギ

学名:Bischofia javanica Blume

科属:コミカンソウ科、アカギ属(Bischofia)

別名:赤木(アカギ)、茄冬(カタン)、萬年青樹(マンネンセイチジュ)

分布:主に熱帯および亜熱帯地域に分布し、中国南方(広東、広西、福建、雲南、海南など)、インド、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどが含まれる。

山門の外にあるアカギの木は、志のようにまっすぐにそびえ立ち、紅葉は心のように赤く染まる。その繁栄の絢爛(けんらん)さをもって、生命の無常を示している。深く根を張ることで、不屈の精神を解き明かし、繁茂する枝葉は生命の力強さと生命への賛美であり、落ち葉が根に帰ることは故郷への深い愛着である。天地の間に佇み、禅者のように静かに、四季の輪廻を担っている。

PART 02 菩提樹

学名:Ficus religiosa

科属:クワ科イチジク属

別名:畢缽羅樹(ピッパラの木)、または菩提イチジク。

分布:菩提樹の原産地はインド、ネパール、バングラデシュ、スリランカ、ミャンマー、タイ、ベトナム、中国などのアジアの国々である。中国では、主に雲南、広西、広東、福建、台湾などの南方地域に分布している。

法堂の門前にある二本の千年の菩提樹。南側の雄木は、まっすぐと高くそびえ、枝葉は集まって雄渾(ゆうこん)な気を放っており、花を咲かせたことはないが、それ自体に重厚で内面的な美しさがある。北側の雌木は、枝を広げ、姿は伸びやかで、毎年花を咲かせ実を結び、生命力に満ち溢れている。柔らかさの中に強靭さを持ち、生命の継続を育んでいる。

菩提樹の下は、無数の修行者が解脱を求める場所であり、また仏陀が悟りを開いた聖地でもある。菩提樹は寺院に荘厳さと静けさを加えるだけでなく、仏法の智慧の象徴となり、無数の修行者の悟りの道を見守っている。

PART 03 イヌマキ

学名:Podocarpus macrophyllus

科属:マキ科、イヌマキ属(Podocarpus)

別名:土杉(トスギ)、羅漢杉(ラカンスギ)、金錢松(キンセンショウ)

分布:原産地は中国南方、日本、および東南アジア地域であり、亜熱帯および熱帯地域に広く分布している。

正覚堂の門口にあるイヌマキは、四季を通じて変わらぬ青々とした緑と、禅のように静かで雅な姿をしている。その名(訳注:中国名 羅漢松)は、実が羅漢に似ていることに由来する。松の木は永遠の生命力、悟り、解脱を象徴し、羅漢はこれらの性質を実践し体現する者である。松の木の強靭さは羅漢の揺るぎない精神と一致しており、困難に直面しても忍耐力を維持するよう修行者に思い出させる。奥深い庭や静かな山林で、それは確固たる守護者のように、静かに天地の気を保っている。

樹の四諦

01 落ち葉———人生は本質的に苦である

樹の葉が季節と共に枯れ黄色くなり散っていくのは、人生において避けられない苦、すなわち生、老、病、死、愛する人との別れ、望んだものが手に入らないことなどと同じである。一枚一枚の舞い落ちる葉は、無常という真実を示している。風が吹き、葉が落ちる。その苦痛や喪失は、生命の基本色であり、悟りの始まりでもある。

02 新芽————苦には原因がある

枯葉が全て落ちた後、新芽が土を破って出てくるのは、新生の希望を象徴している。しかし、新生と同時に、貪欲や憎しみ、無知による新たな苦が絶えず生まれる。苦の根源は、深く埋まった種子のように、心の底に隠れているが、輪廻の継続を推し進めている。一枚一枚の新葉が芽生えることは、生命の始まりであると同時に原因と結果の連鎖の継続でもあり、苦しみには理由がないわけではなく、因縁によって生じることを私たちに思い出させる。

03 繁茂——苦は消滅できる

木が枝葉を繁らせ、生命力に満ちている時、それはまるでこう語りかけているようだ。「もし正しい道を見つけ、涅槃に至るまで修行すれば、苦は風に吹き散らされる雲のように、最終的には平穏に帰ることができる」。繁茂した枝葉は生命の円満であり、苦が滅した後の自在な境地でもある。その生命力に満ちた状態は、まさに修行者が苦しみを乗り越えた後に到達する解脱の境地であり、太陽の光が降り注ぐように、温かく澄みきっている。

04年輪——苦を消滅する道がある

樹木の年輪は一重また一重と広がり、歳月の堆積と修行の足跡を記録している。一つ一つの年輪は時間の証しであり、生命の悟りでもある。それは、仏陀が説いた八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)のように、一歩一歩が年輪のように堅固で揺るぎなく、私たちを苦しみの終わりへと導き、智慧と慈悲を修得させる。年輪の広がりは、生命の成長であり修行の段階的向上でもある。最終的には心の安寧と悟りの円満へと通じるのだ。

樹の波羅蜜

一本の樹の成住壊空(じょうじゅうえくう)は、落ち葉から新芽へ、枯れ果てた状態から繁茂するまで、尽きることのない生命力と智慧をもって、生命の強靭さと円満さを示している。樹木の中の四諦は、生命の智慧を秘めており、仏陀の教えのように、私たちに苦と解脱をどのように捉えるべきかを示唆している。

樹の一生は苦と解脱の縮図である。落ち葉、新芽、繁茂、年輪が幾重にも重なり、四諦の真理を語っている。苦は生命の本質であり、苦にはその原因がある。しかし、正しい道に従いさえすれば、苦の海を超え心の安寧と自由へと到達できる。樹の根が大地に深く張り、枝葉が天に向かって繁茂するように、善根の深い者は、修行によって智慧が増長し、最終的には無上なる菩提を悟ることができる。

まさに『大方広仏華厳経』に説かれている通りである。「善男子よ、菩提樹とは、すなわち一切の諸仏の境涯(きょうがい)である。善男子よ、たとえ一本の樹でも、その根、枝、葉、花、果が共に成就して大樹と呼ばれるように、一切の菩薩が菩提の道を行じ、諸々の波羅蜜や諸々の解脱が共に成就して、菩提と呼ばれるのである。」

樹の根、枝、葉、花、果は、共にその円満さを成就させた。菩薩の修行も、一切の波羅蜜と解脱の法門の中で、最終的には無上の智慧と慈悲を成就させたのである。

【発表】大公文匯国際伝播センター

【出典】東華禅寺公式サイト

【編集】劉暢

【初審】田欣妍

【終審】鍾俊峰

翻訳/古橋奈津子