大雄宝殿 寺院の核心となる建築物の物語

東華禅寺の壮大な建築群の中にあって、大雄宝殿は荘厳で厳粛な雰囲気を放っている。それは寺院の核心をなす建築物であるだけでなく、僧侶たちが朝な夕なに集まり修行し法要を行い、また災いを払い福を祈る聖地でもある。今日は、私たちも一緒に東華禅寺の大雄宝殿を巡り、その神秘のベールをはがしてみよう。

威風堂々とした三門殿を通り抜けると、大雄宝殿の前にたどり着く。この大殿は荘厳かつ厳粛であり、飛檐(ひえん)や斗拱(ときょう)、彫刻が施され絵が描かれた梁や棟が、古風で雅やかな趣を余すところなく示している。大雄宝殿には三尊の大きな仏像が祀られており、中央は釈迦牟尼仏、左は阿弥陀仏、右は薬師如来仏である。これら三尊の仏像は台座を含め高さ16メートルあり、広東省の寺院本殿にある仏像としては最も高く、人々の心に畏敬の念を抱かせる。

仏像を注意深く見つめると、なぜこの三尊の仏の顔が似ているのだろうかと不思議に思うかもしれない。実は、仏になるとは功徳が成就することを意味し、成就すれば自然と顔立ちも一致し、仏は皆等しく荘厳な姿となる。彼らを見分けるには手の印を見る必要がある。薬師仏の手は下に向けられており、これは「熄滅手印」であり、戦争、疫病、貪瞋痴(とんじんち)を消し去ることを意味している。阿弥陀仏の手は上向きになっており、これは「接引手印」であり、衆生を迎え入れることを意図している。釈迦牟尼仏の金剛印は、降魔印、定心印、宇宙印とも呼ばれ、陰陽と宇宙の平衡を保つことを象徴している。釈迦牟尼仏の傍らには老いた者と若き者が一人ずつおり、それぞれ迦葉(かしょう)尊者と阿難(あなん)尊者である。これは、仏の教えを学ぶことに老若や順番は関係なく、社会での経験もまた修行であり、誰もが悟りを開き仏になれることを示している。

仏像の外観は古銅のような質感だが、実は金が貼られている。当初は資金の制約から、純度99%の金ではなく66%の金を使用したが、思いがけずその古風な効果が際立ち、画期的なものとなったため、多くの寺院がこぞって模倣したという。仏像の目は特に独特で、正面からでも左右から拝んでも、仏の目が自分を見つめているように感じられる。これは精巧な開眼技術によるもので、仏がすべてを平等に見つめ、衆生を見捨てないことを体現している。眼球に貼られた真珠金は貝殻から作られており、通気性が高く貴重で、一度貼れば永続する。仏像の後ろの背光は円形で、円満を象徴している。護法衆の炎のような背光とは異なり、仏の背光は白毫光であり、須弥山のように光輝いている。

大雄宝殿の両側には、宝瓶の形で現された『六祖法宝壇経宝瓶経幢』が個性的な存在感を放っている。東華禅寺は、この方法で『六祖法宝壇経』を広める国内で唯一の寺院である。宝瓶には「具定無漏(ぐじょうむろ)」の意味があり、福徳と智慧、富貴と平安を象徴している。衆生の願いを叶え、世代を超えて伝わり、吉祥を保つことができる。量子力学の理論によれば、個人の遺伝子のしるしとなるものを宝瓶に入れることは、殿内で経典を聞き法を聞くことと同じであり、正しい信仰と正しい念の加護を受けることができる。法師たちは毎日朝晩の仏事で読経し、宝瓶の功徳主へ回向しているため、その仏事の功徳は並外れたものがある。

大雄宝殿は、奥深い仏教文化と素晴らしい祈願を宿しており、より多くの人々が訪れることが期待される。

【出典】東華禅寺

翻訳/古橋奈津子