中国の釣魚台国賓館に所蔵されている一枚の絵《明月随人帰》。中国の著名な画家呉作人(ごさくじん)、黄冑(こうちゅう)、範曾(范曾・はんそ)、そして日本の画家平山郁夫の手によるものだ。日中の最高峰の画家たちが描いた作品は両国の芸術家たちの友情を記録するものだが、その想いを引き継ごうと平山郁夫美術館館長で平山郁夫氏の実弟である平山助成さんが新しい《明月随人帰》を描き、4人の中で唯一存命である範曾さんに託した。
平山郁夫氏は1930年広島県に生まれ、シルクロードを描いた一連の作品などで高い評価を集めた日本画家。東京芸術大学学長、日本美術院理事長などを歴任。1998年には文化勲章を受章した。15歳の時、広島市内で原爆に被爆するという体験をし、作品《仏教伝来》を始めとする仏伝とシルクロード連作へ続く画業の原点となった。平山氏の仏教、平和への深い想いはその作品とともに中国でも高く評価されている。
範曾氏は1938年生まれ。豊富な歴史知識に裏打ちされた人物画に定評があり、詩・書・画に優れた三絶の画家として知られる。
平山郁夫と範曾との出会いは範氏が初めて日本で展覧会を開いた1979年。以降、範氏は来日するたびに平山氏の鎌倉の自宅に招かれ親交を深めた。1984年夏、当時日中文化交流協会の副会長だった平山郁夫が中国を訪れ、著名な芸術家らと交流した際、《明月随人帰》は生まれた。人物画の大家黄冑から「何か人物を」と提案された範曾は老詩人を数分で描き出す。続いて黄冑がロバを描き、平山郁夫は満月を描いた。最後に呉作人が題字を入れ、日中の大家合作の絵が完成する。作品は釣魚台国賓館(ちょうぎょだいこくひんかん)に収蔵される。2008年、平山郁夫が亡くなる一年前、中国人民への友情の証として奈良の寺を描いた油絵を釣魚台国賓館に寄贈する。釣魚台は《明月随人帰》を2部複製し、平山郁夫と範曾にそれぞれ贈った。黄冑と呉作人はすでに鬼籍に入っていた。範曾が平山郁夫と会ったのもこの時が最期であった。
2023年1月23日、関西華文時報記者が広島県尾道市にある平山郁夫美術館を訪ねた際、同美術館館長の平山助成氏は、兄である郁夫氏と中国との深い縁について語った。関西華文時報の題字が範曾氏の筆によるものであることから、平山館長は《明月随人帰》の題字と満月を描いた作品を弊紙記者に託した。日中の友情が次世代にわたって続きますようにとの想いが込められた作品は、すでに北京の範曾氏のもとへ送っている。新しい《明月随人帰》が誕生するのか、中国国内のメディアでも多く報道され期待が高まっている。
(一部、敬称略)